生かされている自分を、生かしてくれる森づくりを

岩手県・大槌町

特定非営利活動法人 吉里吉里国

 

薪の炎に救われた震災後の日々。

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岩手県釜石市と接する大槌町。大震災では震度6弱を観測。津波で町は壊滅的な被害を受け、死者・行方不明者は1200名以上。観光船が建物の2階屋上に乗り上げた写真をご記憶の方も多いかもしれません。

「夕暮れ近くだったでしょうか。最後の津波が引いた後、男衆は避難していた高台の小学校から吉里吉里の町に降りていき、柱や梁といった廃材を集めました。持ち帰った廃材を燃やして暖を取ったんですが、以来、24時間校庭の片隅から焚き火の火が消えることはなかった。夜中だろうがだれかが焚き火の近くにいた。それはただ暖を取るだけじゃなかったと思いますね。」(NPO法人 吉里吉里国 理事長 芳賀正彦さん)

すべてを失い、大切な家族を亡くし、失意の日々。明日のことさえ考えられないなか、吉里吉里の人々の気持ちを和らげてくれたもの、それが薪の炎だった。

「震災以降、吉里吉里の町もライフラインが完全に途絶え、避難所では不便な生活が続いていました。そうしたなか、岩手県の防災支援で薪ボイラーを使った入浴施設ができ、自分たちも廃材集めや薪づくり、風呂掃除などを手伝うようになったんです。」

震災から3週間ほど経った頃だといいます。

進まぬ復興のなか、復活の道を森に見出す。

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出会いが人の行く末を大きく変えることがある。芳賀さんにとって、それが薪ボイラーのお風呂だった。

「お風呂をもってきてくれた県の職員の方は、林業系のネットワークをもっていて、全国各地からボランティアが吉里吉里に駆けつけてくれました。ほかでもない、薪ボイラーに使う薪をつくるために、です。」

そして、とあるボランティアの方のひと言が、いまに続く「復活」の扉を開いてくれた。『この薪、風呂に使うだけでなく、売れるんとちゃうか』。震災以来、薪の炎に励まされ、思いもしなかったボランティアの言葉に背中を押され、「吉里吉里復活の薪プロジェクト」が歩み出したのは、震災からおよそ2ヶ月、5月15日のことだった。

「瓦礫の廃材を薪として売ろう、廃材が無くなったら山を手入れするなかで、薪をつくって売ろう、生きていく糧を山に見出そう、避難所生活の中でそう呼びかけました。」

芳賀さん自身は林業従事者だが、この計画に賛同した吉里吉里の人は皆初心者だったとか。東京での就職が決まっていた若者が、震災を機に故郷である吉里吉里に生きる事を決めたが、その彼もNPOの理事に推したといいます。

森と向き合うことで、犠牲者に恥ずかしくない生き方を。

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「震災を体験し、これからは犠牲になられた人に笑われない生き方をしようと心に決めた。恥ずかしくない生き方をせねばと、すべてがそこから始まっている。吉里吉里の町にある森林はほとんど地元漁師が所有するものですが、高度成長期以降は顧みられることもなく、いまでは境界線も定かではありません。でも復活の薪プロジェクトを通し森に入るようになってからは、森林への見方は明らかに変わりました。漁が暇な冬には自分たちで少しずつ手入れをすれば、荒れていた森も豊かになるし、間伐材を自分たちで市場に運び込めば、お金にもなる。そのことを漁師のみんなにも広めていきたいし、海の町に生きた先人たちも一番喜んでくれるんじゃないかなと。」

失うものも多かった震災だが、地域の森に入り、間伐材を薪として売る生業を築くことで、若い人たちが働く場が出来たこと、そしてそれが大槌の森と一緒に生きることの確かさ、豊かさに繋がっていくという確信をもてたこと、これも今回の震災がもたらした真実なのだ。

「貧しさとは違う、質素な暮らしを願う人が増えれば、吉里吉里はいい町になるし、それがブランドになれば凄い。本物の自然があって、薪があって、今日一日よく生きた、という暮らし、それが我々の求める答えです。」

そして「森林整備、薪の生産こそ吉里吉里国の命。薪づくりだけは絶対に存続させます。それが山、薪に対する恩返しです。」と語る芳賀さん。絶望の淵から立ち上がれと励まされた薪の炎に対する誓いは揺らぎがありません。

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特定非営利活動法人 吉里吉里国

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里三丁目-6-28
http://kirikirikoku.main.jp/

間伐作業を行うことで、山の再生を目的とする「復活の森」、森林整備の中から出てくる曲がった木材、細い木などを薪に加工し販売することで、被災者の自立・雇用の確保につなげる「復活の薪第2章」が活動の柱。2011年12月27日にNPO法人の認証を得て、自然と人が共生し、子の代、孫の代までかけて、美しい自然を取り戻す活動に取り組んでいる。