CSV経営・健康経営時代の「企業×森林」フォーラム― 森と人と地域を元気にする、新時代の「企業の森づくり」 ―を開催しました

つまり、価値は非常に難しいものです。マルクスは、価値を、使用価値や交換価値として定義しました。しかし、最近、私は、使用価値や交換価値とは別に、存在価値や関係価値というものがあるのではないかなと考えています。つまり、機能が分からなくても、あるいは、お金に換算できなくても、ただ存在するだけ、あるいは、それと関係することによって価値があるということです。まさに、人間がそうです。人間は、使用価値、交換価値だけで評価されるのではなく、存在そのものに価値があるとされます。森の世界も、やはり使用価値、交換価値の世界ではなく、存在価値、関係価値の世界ではないかと思います。

人間のシステムである社会の周りには自然のシステムである森等が広がっています。そして、社会の中では経済という仕組みが動いています。つまり、森は、社会の外である自然のシステムの中の存在ですから、経済の用語では説明できないものだと思います。

経済の用語で説明できないならば、価値がないかというと、そうではありません。実は、人間のシステムの物差しでは計り知れないものだからこそ、より価値があるのではないかと思うわけです。しかし、それを言語で説明できなければ、その価値は認めてもらえないというところに、価値論の矛盾があるのではないかと思います。今後、言語で説明し説明しにくいけれども、価値があるものをどのように説明していくかが問われてきます。その際、お金で説明すると、
とても分かりやすいし、資本主義は、まさにそういうものです。しかし、お金の関係だと、やはり長続きせず、金の切れ目が縁の切れ目になります。

私はもともと林野庁にいたのですが、林野庁はこれまで、人工林をつくってきました。人工林とは、すなわち、木材工場のことです。木の価値が高かったときは、森も高く評価されましたが、木の価値はだんだんと低下してきました。そこで、林野庁は政策を転換して、公益的機能や多面的機能という言葉を使い、木材だけでは価値が計れなくなった森の多面的機能を強調し始めました。そして、「経済価値は70兆円です」という形で定量的に評価するようになりました。

しかし、70兆円と言っても、なかなか理解されません。そこで、最近は、癒やしがブームだから森林セラピー、あるいは、エコがブームだからバイオマスというような話になっています。それでも、森はまだまだブレークしていないという現状にあります。

やはり、機能や価格、すなわち、使用価値や交換価値で森を語っている限り、森の価値は正当な評価を受けません。森の価値を伝えるためには、使用価値や交換価値に頼っていてはいけないと思います。森に投資しても、使用価値や交換価値で説明できないから、企業の中で森づくりを進めることが難しくなっているというのが現状だと思います。

では、どうすればよいかということですが、フォルクスワーゲンの事例を紹介します。フォルクスワーゲンは、生物多様性に関して大きな投資をしています。川の再生、ヤマネコやオオカミ等の生態系を戻すといったこと等を行いました。自動車メーカーが、なぜ、そんなことをやるのか、全く説明がつきません。しかし、彼らは、「Volkswagen connects habitats.」と言っています。Habitatsは「すみか」という意味です。フォルクスワーゲンは車をつくる会社であり、車によって人の移動をサポートし、人をつないできました。だから、人のすみかをつないでいくことが、フォルクスワーゲンの仕事であったのです。しかし、道路を造ることは、一方で、動物のすみかを分断することです。だから、人のすみかをつなぐように、動物のすみかをもう一度つないでいくという言い方をしています。

私は、現地でこの説明を聞いたのですが、そのときに、本当に物は言いようだと思いました。すなわち、価値をつくるには、言い方が重要だということです。経済的な文脈に落とさないと価値がないのではなく、どのように伝えるかによって価値が決まるとすると、その背後にある価値観が問われている時代になっているのではないかと思います。

では、価値を決めるのは誰かということです。価値は、その価値をシェアできる人がいなければ決められません。自分がどんなに価値があると思っても、それを共有できる人が必要です。その価値をシェアできる人が増えれば増えるほど、価値は大きくなっていきます。従って、価値をシェアできるコミュニティーが価値を決めることになると思います。

価値をつくりたければ、その価値をシェアできるコミュニティーをつくることが最も大事なことです。価値を分かってくれる人たちを増やして、コミュニティーにしていけばいいということです。もともと、CSVはCreating Shared Valueですから、本業と結び付く価値ではではなく、シェアできる価値をつくっていこうと言っているわけです。従って、共有価値の創造とは、すなわち、コミュニティーの創造にほかならないのではないかと、私自身は思います。

それで、最近、CSVに関する面白い事例が出てきました。IT系のロフトワークという会社は、非常にコミュニティーをつくるのが上手です。実は今、ロフトワークは、飛騨高山に、「飛騨の森でクマは踊る」という会社をつくっています。3Dプリンターや3Dスキャナー等を置いて、いろいろなものを自由に作るネットワークやそういう場所をFab Cafeと呼びますが、「飛騨の森でクマは踊る」はFab Cafeです。

飛騨では、組み木の技術が進んでいますが、その組み木を全部、3Dスキャナーでスキャンして、それをもう一回、3Dプリンターでプラスチック等に打ち出したりして遊びことができます。また、そこにクリエーターやデザイナーを呼んで、いろいろなワークショップをして、地元の職人さんや大工さんとつないでいるのです。つまり、コミュニティーをつくっているわけです。それは、経済的な価値としては、ほとんどないと思います。でも、飛騨の山奥に大変面白いコミュニティーができつつあるわけです。

こういうことが、これからは重要になっていくと思います。だから、森のことを分かってほしかったら、森の価値そのものを定量的に評価するのではなく、その価値を分かってくれるコミュニティーをどんどん増やしていけばいいし、そのコミュニティーづくりが最も大事です。そして、変に経済の世界にすり寄らず、使用価値や交換価値ではなくて、存在価値や関係価値でいいではないかと、開き直り、それを分かってくれるコミュニティーをつくった者勝ちだと思います。

そのときに大事なことは、森を一つの場として考えることです。森は人を変える場だと、私は思っています。うちの娘は、小学校からに上がってから、非常に元気がなくなりました。恐らく、集団生活になじめなかったのだと思います。そこで、私は、山に娘を一緒に連れていくようになりました。これは、長野の山奥にある自由に森を使える場所に連れていったときの写真です。こんなふうに、本当に元気のなかった子どもが、すごく元気になっていきました。これは息子と娘ですが、こんなふうに元気になっていきました。私自身も、久しぶりにチェーンソーを握ったりしました。この頃、私は仕事がつまらなくなっていたのですが、森に行くようになったら、どんどん元気になっていきました。まるで、自分が生まれ変わったような気分になりました。森には、そういう効果があるんだと実感しました。

昔、『イントゥ・ザ・ワールド』という映画がありました。人間嫌いの主人公がアラスカの大地へ行って、飢え死にしそうになりながら、最後に「Happiness is only real when shared.」という言葉を書き残すのです。「幸福はシェアできないと意味がない」ということですが、本当にそうです。私は、森に行くようになって、森を好きな人たちとコミュニティーをつくって遊んでいたら、とても元気になり、幸福になっていきました。

では、森は、場としてどういう意味があるかというと、Activationです。例えば、免疫機能を活性化させる効果が、物理的、生体的にあります。逆に、Sedation、鎮静作用もあります。Activation と同時に、人の心を落ち着かせる効果もあります。

そして、Sense wareは、五感を覚醒させるという意味です。森は、ハードウエアでも、ソフトウエアでもなく、ある種のSense wareなのだろうと思います。森へ行くと、なぜ元気になるかというと、五感を使うからです。人間が使うために、神様から五感をもらったのに、普段は使いません。しかし、森へ行くと、使わざる得なくなり、その結果、だんだん、体が活性化して、心も元気になってきます。

また、Diversity、今はやりの多様性ですが、女性の活躍支援ではありません。人間はそれぞれ、いろいろな生き方をしてよいということです。森へ行くと、コケ、高い木、日陰にしか育たないような植物、虫等、いろいろなものがあり、それらがだんだん、存在に対する気付き与えてくれるわけです。

その結果、ある種のConfidence、自信や、Openness、開放性をそういうようなことがあるのではないかと思います。
だから、人間は森の中でいろいろな人たちと遊んだりしていると、どんどん元気になるのは、こういう流れがあるからではないかと思うわけです。

言い換えると、森はRe-creationの場だということです。Re-creationは、レクリエーションの語源であり、生き直す、再生する、再創造という意味です。従来のレクリエーションは、月曜日からまた元気に働いてくれるように、週末に森という場に人を連れていくというように、労働力としてのRe-creationを目指すものでした。しかし、これからは、もっといろいろな意味のRe-creationがあっていいのではないかと思います。もちろん、労働力のRe-creationもあって良いのですが、それだけではなく、働き方自体のつくり直しがあってもよいと思うのです。


例えば、森の中で私自身が生き返ったように、人間として生き直す、あるいは、新しい仕事が生まれる、また、本業の商品や仕事のRe-creationにつながるかもしれません。それがひいては、労働力という意味でも、商品という意味でも、企業自身という意味でも生まれ変わる、同時に、地域が変わることにもつながっていきます。そして、その結果、森自身も、生まれ変わり、元気になっていきます。それがRe-creationとしてのCSVということではないかと思います。
ということで、私の基調講演を終わります。どうもありがとうございます。