『SDGs時代の森林×企業シンポジウム』
-持続可能な社会づくりに向けた、新時代の企業の森づくり・木づかい-

「SDGs時代における、日本ならではの“和のサスティナビリティ”」
河口 真理子(株)大和総研 調査本部主席研究員、グローバル・コンパクト・ネットワークジャパン 理事

皆さんこんにちは。ただいまご紹介いただきました河口と申します。私に与えられたテーマは、普段ですと足立さんのテーマなんですね。投資家と、あと、また企業の取り組み、最近はエシカル消費といって消費の話しもするんですけれども、今日はちょっと全然違うテーマでお話しをさせていただきます。

SDGs時代における和のサステナビリティで、あの式年遷宮から学ぶものというテーマでお話しをいたします。何でCSRをやっとESG投資をやっている私がこのテーマかというと、SDGsは「サステナブル デベロップメント ゴールズ」。要するにどうやったら人間社会が長続きするんだ、という話しですよね。けれども、このSDGsとか言っている西洋の社会って長続きしているものの、実績ってあんまりないです。それで、日本にその長続きしているものの事例ってあるじゃないかと。その一番いい事例が、1300年間も続いていた式年遷宮。これは、ご存じの方も多いと思うんですけれども、伊勢神宮の式年遷宮というのは20年にいっぺん、すべて遷都すると。右から左へすべての社と中身を全部遷すということを20年にいっぺん、1300年、ずっと続けていて、応仁の乱に100年ぐらいちょっと中断した時期があるんですけれども、それ以外ずっと続けているんです。奈良時代から平安時代、鎌倉、ちょっと応仁の乱の間は中断されますけど、安土桃山、江戸時代、そして明治、戦後、やっぱりすごいことだなと思いまして、そこに日本人が世界に訴えられる知恵があるのではないかと。

SDGsということで、地球の人類の持続可能性を考える上で提案できるものがあるんではないかなということで、神道の本を読んで勉強をしました。それで学んだことが非常に多かったので、今日は皆さんとシェアできればと思うことと、そこにはものすごく森というものがキーワードとして大きく関わっており、今日のテーマにふさわしいということでお話しをさせていただきます。


伊勢神宮なんですけれども、これは何かということですが、これは天皇家の神社なので正式名称は神宮で、正式名称は伊勢神宮じゃなくて「神宮」なんですね。神宮といったら伊勢神宮で、他の神宮は付いていますけれども、神宮といったら伊勢神宮、ザ ジングウ ということになります。それでここは2000年以上の歴史を持っている古い神社であります。ここは、天皇家、国、そして公家とか大名などの庇護と庶民からの支持を受けてきたところであります。皆さんお伊勢さんてご存じだと思いますけれども、弥次喜多道中なんかでも有名なお伊勢参りですけれども、歴史の本を見ると江戸時代には1日に14万人も、伊勢神宮に押しかけていたこともあると。結構、だから物流というのが、ものすごく全国であったということがあり、これが日本の経済発展の一つのその物流だとか色々な発展の一つになったのかなという気もいたします。

そして、そこで20年にいっぺん行っている式年遷宮なんですが、これで神殿と神宝とか装飾を全部新しくして、お引っ越しするんですね。敷地が左右に二つあって、西と東があって、20年ごとに、右から左へ、左から右へと引っ越すんですけれども、その際にすべてを作り直すということです。これは20年ごとにやっているんです。ではどのくらいかと言いますと、ここに書いてありますけれども、ヒノキ1万本、直径60センチのものですからね。それが1万本、樹齢が200年以上のものです。カヤは23000束、1束25キロあるそうです。それがこれだけです。それ以外にその装束とかが、ここに書いてあるように山のようにありまして、そして、それを20年にいっぺんやると。2013年には62回目の式年遷宮が、550億円。だからものすごく大規模な国家事業。これをずっと日本というのは続けてきたということです。これを続けることによって、経済の需要喚起、それだけ20年にいっぺん需要を喚起するということもありますし、カヤだとか森林を保全していかなければいけない。それ以外のお供え物とか山のようにあるので、これを保全していかなきゃいけないという生態系を守る、文化を守る。伝統を守ると、そういった効果もあります。

そしてここで出てきているコンセプトがトコワカ(常若)というコンセプトなんですけれども、20年にいっぺんずっと作り直しているので、我々がいまお伊勢さんに行って見れる、その神宮の神殿なんですけれども、あれは要するに1300年前のものと同じものなんですね。全く同じ作り方をしているので、ある意味では、1300年前と同じものを、我々は見ることができると。このコンセプト、常若、常に若いというんですけれども、あの、朽ちやすい白木とカヤの建物を、放っとくと朽ちちゃうんですけれども、これを20年にいっぺん壊して新しくすることによって、永遠の若さを保つと。これは和のサステナビリティのコンセプトになるんではないかなと。それで、西洋型のサステナビリティだと、頑丈な石で作って壊れないようにすると。よくこれと対比されるのがギリシャのパルテノン神殿で、石で作ってるから保つんだけれどもだんだん朽ちてくるです。日本とは非常にコンセプトが逆転しているということなんですけれども、こういった日本の考え方も非常に理論的かなと思います。

この伊勢神宮の式年遷宮、これは伊勢神宮に独自のことではなくて、やはり森との関わりということを考えますと、日本全国にある神社の果たしてきた役割というのは非常に大きいというふうに思います。神社の周りというのは神域として森があり、鎮守の森って、神社の後ろはだいたい森になっていますよね。教会というのは教会のバックに町があったりするんですけど、皆さんイメージしていただくと、鳥居があるとだいたい森がある、というような。「君の名は」というアニメの映画が流行りましたけど、あれも神社が出てきていて、山の上の方にある神社にみんなでお祭りに行くというお話しなんですけど。やはりそれが日本人の原風景として森林があると。そして周りに農地があって、川があって、海に流れていく。特に伊勢神宮の場合は、五十鈴川が流れていて、裏に神宮の森があって、そして伊勢湾に流れていくということで、海と川と森と、すべての生態系の恵みが得られると。そこで何ができるかというと、自給自立できる、自然資本としての森を大切に守るということができる。かつ、ここが神域になっているので、人が乱獲しないとか、入ってはやっぱり不敬になるということで。

そうすると結果としてそこの森林というストックを守っていて、そのうちの上がりというか、フローですね。キノコとか山菜とか、こういうものをいただくという、そういった循環が出てきていると。そして豊かなフローを生み出すような森とか農地とか川とか海というのは、安定した社会を生み出す土台になっていますし、それを単に守れというのではなくて、神様のという、神事という形になってきますので、これが色々な文化・伝統、色んなあの神様を守るための色んな文化・伝統というのにも繋がってきています。それで、昭和の頃までぐらいですと、初期または戦前ぐらいですね。全国の神社、特に鎮守の森というのはこういった意味での自然資本とコミュニティの拠点として本当に大事であったと。地域の外れ、神社ってだいたい外れにあることが多いんですけど、そこを核に地域が祭りをするというような形で、地域をまとめる役割を果たしてきたということになります。

これが、近代から現代になってどうなったかということですけれども、神社の役割は総体的に低下しています。ご存じだと思うんですけれども、戦後、神仏分離になった、政教分離になったので、それまで明治以降国家公務員だった神社の神官というのが、国家公務員じゃなくなって、ある日とつぜん民営化されていまいます。なので、伊勢神宮とかも、どうやって経済的に成り立てていこうかと非常に苦労されたと聞いていますが、一般的に神社は国の庇護があったのがなくなって民間で頑張る、ということになったので、どんどん廃れていってしまうというか、あの人手が入らなくなるような神社が、周りにも多くなっているかなというふうに思います。

そして、その森林とか里山というのも生活の糧を生み出す宝庫として、そこのフローを大事に使っていくという形だったんですけれども、それが皆さんご存じのとおり、単なる木材の供給の拠点になっていくわけです。木材としての経済価値があればまだしも、その経済価値も皆さんご承知のとおりどんどん無くなっていったと。つい2ヶ月ほど前にですね、「国産材とデザイン」というテーマでお話しをさせていただいたことがあるんですが、そこで一緒に話された林業家の方、彼のお家は日田市にあり、応仁の乱の頃から続く名家なんですけれども、彼のお爺さんというのが林業家で、九州の方なんですけれども、東京帝国大学の第1期生とか第2期生の林業をご卒業なさった、地元ではものすごいインテリジェントの塊のお爺さんだったそうです。そのお爺さんが、若いころの彼に「おまえなあ、林業家というのは安泰だぞ」と、「下駄と電柱で一生暮らしていける」と、これは戦後のお爺さん、当時のインテリジェントの塊がそう言っていた、というお話しでした。
若い人は、下駄と電柱といっても意味がわからないと思うんですけれども、昔は皆さん下駄で、なんかその間伐材は下駄にして、あの太い木のところは全部電柱になっていて、それで需要があったのがあっという間なくなっちゃいましたよね。というようなことで、そういう形で、森の形というのがどんどんなくなっていって、高度経済成長時代、特に炭焼きというニーズも、エネルギー革命でなくなってしまって、かつてあった森林とか里山の資源というのが放置され、毀損される状況にありました。

しかし、最近になり今だんだん青いところに戻ってきているのかなと。今日の出井代表のお話しもあったように、だんだん日本が森を守るようになってきたと、林野庁長官のお話しにもあったように、すごく森が増えているということで、どん底から這い上ってきている。というところで、映画で『君の名は』なんていうのが若い人の間で大ヒットするっていうのは、なんとなく鎮守の森って大事何だなということをなんとなく感じて、この空気の中で揺れていく。また、もう一回日本の価値を見直そうというような効果もあるんではないかなと思います。放っといてもそのような自然回復ということもあるかと思うんですけれども、やはりここで皆様の力を使って、もう一回盛り上げて、昔のように森を大事にするようなカルチャーというか、心と、また、付き合い方というのを日本人は見直さなきゃいけないのではないかなと思います。

先ほどから、自然資本、自然資本と言っていますけれども、これはいったい何だと。今日ちょっと時間がなくて余り細かくご説明ができないんですけど、一つ言いたいのはですね、資本って経済用語でしょ、って皆さん思っていると思うんですけれども、これは自然からきているんです。中世の、中世になる前のですね、イスラム教とかキリスト教の世界では、利子というのは禁止されたんです。なぜかというと、利子というのはお金の子供じゃないですか。お金という無生物が、お金という子供を生むことは許されないと、神様じゃないんだから。未だにイスラム教では利子が禁止されているのは、神ならぬものが同じものを生み出すということはならないということで利子が禁止されています。キリスト教も中世までそうだったんですけれども、色々な事情があって、それで変わって利子取ってもいいよというふうになって、キリスト教はその後近代的な成長路線に乗ったと。資本蓄積ができた。イスラム教はそれができなかった、というようなことを言う人もいるんですけれども。実はそこから利子と資本の概念はきているんです。

自然が、親が子供を産むっていうところから、実を産んで種を生むっていうところからきているもので、近代経済学が定義する資本っていうのは、自然を手本としているものです。だから、今、自然資本というのは経済学が自然に戻るというか、子供が親に戻るっていうことを考えれば、非常に真っ当な概念であるんではないかなと思います。ここで、もう一回何で自然資本という言い方をするかというと、やはり資本という論理にならされてしまった経済人の頭には、もう一回、彼らにはわかりやすい用語で説明した方がよく、それは先ほど足立さんが色々とお話しをされたような、ああいったロジックで、いかに収益が上がるかとか、リターンが上がるかっていうような仕組みにして、尺度にして説明すると、話がわかりやすいかなと思います。

これが自然資本の定義なんですけれども、基本的には自然資本というストック、森林であったら森林ですね。それに対して生態系サービスっていうのがあって、これがキノコを取ったり薪を取ったりっていうふうなフローの部分です。これらが合わさったものが、自然資本として挙げられます。これを守ることによって、ストックを守らなければ生態系サービスも得られないわけですから、この両方を守っていくということが非常に重要になってきます。自然資本というのは、色んな自然資本があるわけですけれど、森林が一番わかりやすいかなと思います。

先ほど、五関さんが森林の価値とSDGsの兼ね合いというものを全部見せていただきました。ものすごく波及効果が高いですよね、森林の場合。我々の人間生活にものすごく密接に結びついているのが、ある意味森林。逆に言えば人間というのは、森林から平地に出てきて立つようになってから、人間になったというふうに言われているので、森というものに対しての何か親和性というものがものすごくあるんだと思います。そういう面で非常に価値が高いので、本当でしたら、その生態系の価値って、レジュメのピラミッドに描いた下の濃い緑、薄い緑というふうに、ものすごくたくさんあるんですけど、残念なことに、この下の部分はお金になかなかならない。SDGsの価値があるよね、みたいな。仕組みはわかるけどいったいいくら?と言われたときに、ううん、いくら値段がつくんだろうというレベルのものなんですけれども。

とりあげて結局価値があるものは、立木のお金とかですね。これがつい最近まで日本の木材は非常に安くて経済的に成り立たないということになると。この、上の△は小さくなれば、下の△も小さくなって、本来、上の△を切ってしまうと、下の価値まで全部切っちゃうのに、上の価値しか見えてこないから、こんな木はいらないや、といって切っていっちゃう。ある意味でパームになってしまったりというのは、パームという価値の方が元の森よりも大きいじゃないかと。たぶん、元の熱帯林の方の下の価値は大きいんですけど、上の価値はパームにした方がたぶん大きいっていうことで、どんどん切ってしまう。我々の行動原理があっちの黄色いところだけをどう評価するかということなんです。

ですので、林業に関係している人たち、森に関係している人たちというのは、当然黄色い価値を大きくする。日本の森林の価値、木材の価値を大きくすると同時に、下を大きく見せて、これも意思決定の中に入れなきゃいけないと思います。これ関係ないから上の価値だけで切るのではなくて、下が大きいんだから上も切らないようにしようと、逆にそうすると上の価値も大きくできる。そういった変換が必要かと思います。

そして、これが今日のメインテーマなんですけど、あとちょっとおまけなんですが、式年遷宮から得られる持続可能な組織と活動のヒントと、これは式年遷宮が20年にいっぺん続いているということで、これは伊勢神宮にもですね、ちゃんと取材に行って、色々お話を伺って参りました。それで、わかったことはですね、まず最初に、何で式年遷宮って20年にいっぺんやってるんですかと言ったら、「え?」みたいな。「あなたたちさ、ほらお正月がくるとおせちとか食べるでしょ」「はいはい」「同じ、同じ」「そういうもんだから」って、そういうもんらしいです。伊勢神宮ではですね、毎年2000回儀式があると。それは朝晩、神様にお食事を差し上げるというね、火打ち石で火を、あの火をおこしてお米を炊いてっていうことを含めて2000回やっているんで、20年にいっぺんデカいやつをやるのが式年遷宮、みたいな、そういう感じでそれをやるのが当たり前ということでした。

重要なポイントは、組織としてのミッションの価値っていうのは、その社会の価値と根源的な価値が一つになってなくてはいけない。そのミッションの価値が社会の価値とずれていたら、やっぱりそのうち淘汰されてしまうということですね。そこが、その軸が一緒であれば、時代に即しすぎた合理的と思われる、あの流行に乗っ取りすぎるとか、ブームに乗っかりすぎて無理をするみたいなことはいらないということですね。そして、単に常に拡大を求めるものではなく、一定の動くような規模になったならば、継続ということを目的にするのが大事。ここで一番大事なのが、絶対に変えない本質を守るために、それ以外は時代に応じて柔軟に変えると。で、彼らが言っていたのは、変えるものと変えちゃいけないものを分けると。変えちゃいけないものは絶対変えない、変えていいものは変える。ですから、箱の中に中身があったら、中身は変えないんだけど箱は変えていいと。

ただ、往々にしてあることは、箱と中身があると何か変えなきゃいけないというと、箱は見えるけど中身はよくわからないから、箱を残して中身を変える。最近でも某企業がですね、どんどん原子力関係でアメリカの会社と色々と問題になっていて、だんだん中身が変わっていて、上場はしているんだけど中身は変わっているんじゃないの、みたいな話しがあるわけですけど、そこを考えなければいけないと。そして日々の業務に従事しながら、1000年先を想像できる、特に森林なんていうのは1000年先っていうことを想像するには、非常にいい、50年、60年単位での事業ということですから、そういう人材を育成するような努力をするということ。

そして、俺たちは長続きしているからいい、のではなくて、常に色々なステイクホルダーと良好な関係を維持するための努力。先ほどの五関さんのPPAPは感動したんですけれども、やはりああいうものを含めてですね、役所の方だから小難しいという感じではなく、色々な努力が大事なんだなあというふうに思いましたが、そういったもの、特に資金調達のあり方とか、組織の法的な組織的な仕組み、株式会社がいいとか、NPOがいいとか、そういうことを含めて、そういうところは柔軟に対応しましょうということと、あとはサプライチェーン、自分がやっている事業のそのサプライチェーンにおける、上流であったり、下流であったり、そういった社会的な影響ということも、きちっと考慮していかないといけないということだと思います。

そして、最後に、SDGsに貢献できる和のサステナビリティ、これはぜひ多くの日本人の方に持って帰っていただいて、自分の活動にも活かしていただきたいですし、海外にも提案いただきたいんですけれども、常若に象徴される西洋の合理主義とは逆の発想というのが、実はあるんだよと。これって西洋の主義に反発する必要はないんですけど、こういう考え方もあるということを常に持っていただいて、問題点があってみんなが困っちゃったときに、こういうソリューションもあるんじゃないかという形で出せるといいんではないかという話しです。

そして古い伝統から持続可能な知恵のヒントを探そう。たぶん里地、里山、また、年配の方ですと色々な知恵を持っていると思います。キノコの見分け方から始まって、石積みの仕方ですとか、そういったもので脱炭素、これから脱炭素を目指しているわけですから、その知恵っていうのは、昔脱炭素だっていうか、炭素がなかった時代、たぶん眠っていると思うんですね。それを今風の技術とかで最先端の技術に乗っけていくこと、新しいっていうか、そのことだけに振り回されすぎないっていうことと、本質を見つめて長期的な視点で考える。この論文に関しては、下に載せておりますので、ご関心があればお読みください。

最後にこれはわたしですね。もう27年前か、会津の只見という山の中に、これは手作りで六ハウスを作っています。残念なことに国産材ではなく、アメリカのダグラスファーでございます。8m×6mで、テーパーが50センチぐらい、日本ではなかなか手に入らないんです。これは手作りなので、たぶん私、証券業界で一番釘を打ったことがある女性だと思います。これ、根曲がりなんですね。ここは大雪が降るので、木がこうやって曲がっているのは、雪の重みで丸くなっているということですけれども、こういった日本人にはなじみが深い、お陰様とおもてなしの心というのを、森に入っていくと感じます。何かに守られているっていうね。それが持続可能なライフスタイルというのを作っていくんじゃないかなと思いますし、そのような価値を持ってSDGsを考えていただきたいですし、日本の森を守っていく、ということをするといいのかなと。本当に日本の森というのは、八百万の神様の依り代だと思います。そういったことが、これからのSDGs時代に大変貴重な財産になるんだと思います。

ご静聴、どうもありがとうございました。