先人の遺志を継ぐ松原を百年掛けて取り戻す

岩手県・陸前高田市

高田松原を守る会

人々を自然の苦しみから救うために、不毛の砂地に松苗を植える。

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img0301-sub1長さ2キロ、7万本のクロマツを有した陸前高田の松原。震災前は白砂青松という形容がぴったりの景観を誇った松原の歴史は、厳しい自然と共生するための先人たちの思いがその礎。

遙か江戸時代、この地は海から押し寄せる潮風、飛び砂、高潮のため作物が皆無の時代が続いたといいます。苦しい生活を強いられている当時の人々をその苦しみから救うために立ち上がったのが高田村の菅野杢之助と今泉村の松坂新右衛門。二人は防風林、防潮林を作ろうと私財を投じ、長年にわたり不毛の砂地に苦労を重ね、松苗を植え立派な松林を育てたことがその源泉となっています。時代は明治、大正、昭和、そして平成と変遷しても、ふるさと陸前高田に住む人に人々は、先人の尊い意志を受け継ぎ、高田松原を守り伝えてきたのです。

ふたつの奇跡が、白砂青松の高田松原を再生するチカラに。

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img0301-sub2「高田松原の松林を守り育て、次世代に伝え残すこと」を目的に、市民と行政が一体となって松林の保全をめざす市民参加のボランティア組織「高田松原を守る会」が発足したのは平成18年3月。以後、松林の清掃活動、松食い虫被害の発見等、活動を続けるなかで、今回の大震災に見舞われます。

「高田松原は、地盤沈下と津波によって約7万本あった松の木が消失するなど壊滅してしまいました。けれど奇跡もあった。明治29年、昭和8年の三陸大津波、昭和35年のチリ地震津波、そしてこの度の東日本大震災の津波、実に4回の津波に耐え一本の松が残りました。それを見て陸前高田市民は勇気や希望、励ましをもらいました。震災に負けるなよと。」(鈴木善久会長)

復興のシンボルとなった奇跡の一本松も次第に衰弱が確認され、日本緑化センターや日本造園建設業協会の協力を得て、守るために懸命な努力を続けられました。残念ながら根腐れにより助かる見込みがないといいますが、高田松林の再生に繋がる嬉しい動きも同時にあったのです。

松林の再生は、自然と共生するこの地の営みの再生である。

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遠くに高田松原を臨む、高台の苗畑で育つ松苗たち

高田松原を守る会では、一本松がまだ元気だった頃、もしものことを考えて、一本松の枝を一部切り取り、それを林木育種センター等の研究機関に送り、接ぎ木を依頼していたのだとか。接ぎ木は4本活着し元気に育っていますが、さらに松原再生を後押しする動きがありました。

「震災前にクリスマスリースを作ろうと高田松原で松ぼっくりを拾っていた方が、松ぼっくりから出てきたたくさんの種子を私たちの会に届けてくれたんです。」

その種子は森林総合研究所の東北育種場(滝沢村)で1年間、大切に育てられ、いまは高田松原を見下ろせる高台の苗畑で順調に生育している。その数300本。

「私たちの活動のゴールは松林の再生だけではありません。復興計画がまだ見えにくいなかで、いつこの松を植えられるのかも分からないのが現状ですが、市民の人たち、私たちを支援して下さる全国の方々と一緒に松を植えることで、この地域全体をもう一度再生していくことが願いなのです。」

先人たちの意志を引き継ぎ、厳しい自然と共生するための松林を地域とともにもう一度つくる・・・。次の世代に確実にバトンタッチするために高田松原を守る会の活動はつづきます。

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高田松原を守る会

高田松原を守る会は、平成18年3月に結成。以来、陸前高田市の貴重な財産である国の名勝・高田松原を守り育て、次世代に伝え残すことを目的に、市民・行政一体となってさまざまな活動を実施。東日本大震災によって壊滅的な被害を受けた陸前高田市及び高田松原にあって、復興のシンボルである奇跡の一本松に誓い、同市及び高田松原の再生に取り組んでいる。