□ 椎野潤ブログ(塩地研究会第18回) 再造林のデジタル化で持続性のある生業を地方から興す再造林デジタル化への問い
みなさま初めまして。
熊本県人吉市(ひとよしし)で造林や保育の請負、林業のスマート化などに取り組んでいます椎葉博紀(しいばひろき)と申します。
まず、能登半島地震において犠牲になられた方のご冥福をお祈りしますとともに、今なお大変厳しい避難生活等を送られている被災地の皆様にお見舞いを申し上げます。一日も早い復旧・復興を願って止みませんし、自分なりにできる支援を息長く続けていきたいと思います。
私は、熊本県の南部、日本三大急流の一つ球磨(くま)川流域を主たるフィールドに小さな会社(合同会社木人舎:こびとや)を経営しています。(https://kobitoya.jp/)
以下は、私がこれから進むべき一つの道標として「再造林のデジタル化で持続性のある生業を地方から興す」と題し、日頃、造林や保育の現場で働く新米林業マンの思いを述べさせていただくものです。拙文をどうかご容赦ください。
さて、国内の森林資源は人工林を中心にその蓄積量を順調に増やし、活用期に入っているということは、皆さまとの共通認識としてほぼ間違いのないことであろうと思います。また、近年多発する豪雨に伴う洪水や土砂崩れといった自然災害の一因として、管理が出来ていない森林、一時の収益性を追求した荒っぽい施業、鹿など野生鳥獣による食害の存在についても同じであろうと思います。
国内の林業従事者は5万人を割り込み、もはや「絶滅危惧」とまで言われる状況です。私自身、昨年(2023年)から本格的に林業に参画しておりますが、林業(特に木材生産)が比較的盛んな地域である球磨地方に生まれ育った身とは言え、森林や林業はどこか遠い存在であったのも事実ですし、広大な山には背を向け、まだ見ぬ世界に根拠のない憧れを抱き成長してきました。私の森林や林業との接点を遡りますと、祖父母による子守を兼ねた山仕事への付き添いに始まります。その後、どちらかというと地域資源を活かした雇用創出や地域活性化という切り口で関わりを強め、令和2年7月に球磨川流域を襲った豪雨災害を経て、残りの人生を費やし森林や林業を将来世代に繋いでいく役割を見出すに至っております。
いま、国内林業界は主伐再造林の時代と言われます。では、主伐とは何を意味するのでしょうか?はたまた、再造林とは何を意味するのでしょうか?
前置きとして、私は皆伐推進者ではございません。また、低コスト造林も当然目指すべきと考えています。出来ることなら、皆伐を避けながら伐採や搬出コストを下げ、森林が持つ多様な機能を損なわない方法で、所謂、森林の循環利用ができないものかを考えている人間です。(そんな都合のいいことを言うな!とお叱りをいただきそうですが。)
誰からか、どこからか、与えられた定義や意義の枠で動くのみではなく、自分なりに咀嚼し、具体的に行動していくことが何より大事であると考えます。社会人として歩みを進める中で、「問い」を立てる癖づけを教わり続けました。課題解決(手段)に飛びつくのではなく、まずは「問い」を立て、その本質を見定めていくことを繰り返してきたこれまでの日々を思い返しますと、今も脳が汗をかく感覚に陥ります。
「何故、造林作業は昔から大きく変わらないのか?」
「何故、休息時間になると皆必死でスマホと向き合うのか?(例え電波が入らなくても・・・)」
「何故、成林した立木段階でデジタル化に躍起となるのか?」
「何故、林業界、特に再造林の場面に破壊的なイノベーションは起きないか?」
「何故、地域社会や地域産業が衰退していくのか?」 等
これらの「問い」に対し、デジタルをベースに「アプリ」「デバイス」「仕組み」という手段を用い、再造林と保育のPDCAサイクルを高度化することができないものでしょうか?これが実現すれば、きっと林業における再造林や保育といったカテゴリーは魅力ある仕事に昇華していくと感じています。次回は、そのための具体的な道程をもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
☆まとめ 「塾頭の一言」 本郷浩二
はじめまして。
現場の仕事をやっている中で、気づかれた様々なことを実現、改善していくことが大事です。ぜひ、取り組んでいってください。
戦時、戦後復興の過度な伐採により伐って使える人工林が乏しくなり、林業においては、その跡地の造林、保育と、経済の成長に伴う天然林開発の拡大のもとで、拡大造林という天然林を伐って造林して人工林に変えていくことが行われました。昭和30年代に40万haを超えていた人工造林面積も平成10年前後には1/10にまで減りました。その後は2万〜3万haで推移してきたのです。
植えた木が太くなるまでは伐ることができず、その間に輸入木材にシェアを奪われ、太くなってきても人工林林業は補助金を前提とした間伐施業を長く行わざるを得なかったのです。このため、造林作業が行われない時代が長く続き、苗木生産も需要が乏しくて縮小されていったのです。政策的にも実務的にも間伐に目が行って、造林や保育に関するコストダウンや生産性向上などのための技術革新などの取組があまり行われず、昔のやり方がそのまま残ってきたのです。この持続性を欠いた林業の歴史が今を形作っています。
一斉人工林(いわゆる単層林)を作り過ぎたという反省から多様な森林施業を推進するということで、非皆伐施業により一斉人工林を複層林や徐々に天然林のような森林に変えていくということが政策課題になったこともあり、伐った後必ず植えるという森林計画の規範を緩めてしまったことが伐った後に植えない(人工林の天然更新)という選択肢を作ってしまいました。このため、造林はさらに低調になってしまい、天然更新には時間と労力がかかることから、造林未済地の拡大という問題が起こったのです。
私は間伐の時代を長く過ごしてきて、林業・国産材産業は縮小していき、林業従事者が減り、山村社会が維持できなくなっていることを危惧しています。限界集落という言葉が広まり、ポツンと一軒家が人気番組となっていることをたいへん無念に思っています。技術革新、路網整備を早急に進め、先人が作ってくださった森林資源を活かして、毎年収入を得続けて循環利用し続ける林業にしたいと思っています。そして、それを個々の林業経営でなく全国の人工林経営で行うためには、国産材のシェアを輸入木材から奪還しなければならないと思っています。そのために木材生産、木材流通にも山元から利用の現場までのサプライチェーンの確立ということで、昔の時代のままからの変革を求めてきました。
一部では造林コスト(下刈終了まで)を100万円以下まで抑えることができていましたが、全国的に造林のイノベーションの実現を待って伐採、木材生産量の拡大施策を進めていくべきだったかもしれません。しかし、林業、国産材産業の縮小は既に待ったなしの状況でした。荒っぽいやり方で恐縮ですが、あなたのような心ある林業・木材産業関係者の危機感が造林のイノベーション(シカ対策も含めて)を必ず引き起こすと思っています。その過渡期にあるのです。それができなければ、個々の林業経営の中には存続できるものもあるでしょうが、広く全国での持続的な林業という未来は望めません。
長くなってすみません。