コロナ危機後の経済再建での山村振興では、伝統ある地域と、東京などの都市国家の地域との一層の連携強化が重要です。秋田の五城目町と神田駅西口商店街との連携復活を書きます。
[山村振興] 世界に誇る都市国家の地域と伝統ある地域の連携
旧藩の人達は、次の世代を見る目があり,事業センスを持っています。資金なども、自力で容易に調達します。ここで頭角を現わしたのは秋田県中部の、農村地五城目町です。背骨がしっかりした社会を持つ重厚なまちです。
□椎野潤ブログ(230)秋田との縁 つないだ神社 神田駅西口商店街 2019年8月17日
☆前書き
神田西口の商店街この町にある小さな社(やしろ)が、神田と秋田県佐竹家との絆(つむぎ)を紡いでいます。2018年8月3日の日本経済新聞が、このことを書いていました。今日は、これを取り上げてブログを書きます。記事は、以下のよう書き出しています。
☆引用
「JR神田駅(東京・千代田)から西に伸びる「神田西口商店街」。ここは昼も夜も賑わいは絶えないが、中程にある小さな社(やしろ)に目を留める人は少ない。江戸時代に秋田藩を納めていた佐竹家にちなむ「佐竹稲荷神社」で千代田区500キロ離れた秋田を結ぶ役割を果たしてきた。」
☆解説
佐竹家は、江戸時代初期、この一体に藩邸を構えていました、大火で焼けた後は、現在の付近に移り住みましたが、神社はこの地に残りました。関東大震災と東京大空襲で焼失しましたが、2度再建されました。この神社は、この地に深い縁があるのです。
500キロ離れている両地区の間の関係は、長い間に栄枯盛衰がありましたが、秋田県中央部にある、緑豊な農水産村、五城目町の松崎福蔵氏は、神田駅西口商店街の人達と、深い絆を結ぶ努力を重ねてきました。
その努力が実り,1989年に東京都千代田区と秋田県五城目町は姉妹提携を結びました。この提携をいかそうと、町民や子供たちの交流も始まったのです。
そんなことから五城目町は、企業誘致の足場にするため、2012年に、千代田区神田のシェアハウスに五城目町事務所を構築しました。この事務所の設立に携わった紐田俊輔さんは、この機会に五条目町を訪ねました。そして「緑豊かな、いい里山がある」とすっかり気にいったのです。家族を連れて移住しました。紐田さんは、今、スタートアップ「ハバタク」を運営しています。これが、一挙に点火して拡大するのが期待されているのです。
「佐竹稲荷神社」の縁むすびで、これまで「神田」と「秋田」は、長期に亙り、縁をつないできました。しかし、大きくは広がりませんでした。でも、当時と今は、時代の状況が大きく変わってきていたのです。今や、スタートアッブの力で一気に拡大する時代になりました。急速な展開が、至るところで起るのです。
佐竹稲荷の小さな境内に植えられた秋田杉は、「枯れて、もう久しいのです。」でも「新芽 」は確実に育ち、根を張っています。この秋田杉が大きく育つ頃、神田と秋田の関係は、新しい時代を迎えるでしょう。
五城目町は、東北地方の力強い特殊都市に育つ余地が、大いにあります。コミュニティの核になる若者が、群れをなし始めています。五城目は、今、各地の山村の、地域創生の格好の見本になっています(参考資料1、2019.8.3、日経(山田薫)日本経済新聞、を参照して記述「 」は引用)
☆まとめ
日経が、秋田県中部の農村地五城目町。背骨がしっかりした社会を持つ重厚なまちだ、と書いていた、この「マチ」は、本当に堂々としており、コロナ危機などに驚いている様子は見られません。五城目町は、毎週、ツイッターを発信しています。2020年6月1日のツイッターでは、下記のような五城目町の森山の日の出の写真を掲載していました。コロナの魔物で、暗い闇に落ちていた、私は、一気に気持ちが明るくなりました。
こういう発想のリーダーのもと、生活している五城目町の町民の心は、明るい未来を見ているのでしょう。
2019年9月6日には、東京都千代田区と五城目町の「姉妹提携30周年記念式典」が行われました。これに対して、千代田区からは、9月20日号の広報千代田が五城目町へ送られていました。同広報誌には、平和使節団の体験報告や第17回ふれあい福祉まつりの様子が伝えられています。提携している千代田区も、とても前向きなのです。
ツイッターを見ていきますと、4月7日に、五城目高校の入学式が行われています。この日73人の新入生が入学し、両親も参列しています。この頃、私は、東京でテレビを見て、戦々恐々としており、日本中、学校は休んでいるのかと思っていました。五城目は平然としていました。
五城目町の人口は、8000人ほどです。行政がしっかりしており、行き届いていますから、そのことから、私が想像していた人口からみると、一桁少なかったのです。近隣市町村の多くは、合併して「市」になっています。五城目町は、そのようなことには拘わらず「町」を守っていました。永い歴史を持つ「わが五城目」に、町民は強い誇りを持っているのでしょう。
このような地域の強い柱と、都市国家東京の「どこか」との連携は、今後、山村振興を進めていく上で、極めて重要です。私は今後も、その有力候補の探検を続けていきます。(参考資料1、2019.8.3、日経(山田薫)を参照して記述「 」は引用)(黄色は、2020年6月記述)
参考資料
(1) 日本経済新聞、2019年8月3日。
[コメント]
五城目町は、長い歴史を持っています。文献に出てくるのは、平安時代中期(930年頃)に遡ります。源順(みなもとのしたごう)が編集した辞書、和名類聚抄(わめいるいじゅしょう)の中に、最北の村として「率浦郷(いさうらごう)」があり、これが、今の五城目だと言われています。鎌倉時代の末期には、この「率浦(いさうら)」がもとになった「五十目(いそめ)」の地名が現れます。これを江戸時代中期には、「五十目(ごしゅうめ)」と呼ぶようになり、江戸後期には、「五城目」と表記されるようになったのです。すなわち、五城目町の起源は、1000余年昔の、平安時代に遡るのです。この伝統の重さは、凄いものがあります。
五城目町は、今、東京でスタートアップを育てています。これは「五城目HUB」と呼ぶプロジェクトです。秋田県五城目町の出身者や、「出身者でなくても興味があるという人」のコミュニティを、首都圏で創出するプロジェクトです。結局、これは、五城目町に関心のある社会起業家のスタートアップを育てているのです。凄く注目されます。
[付記]2020年6月19日、椎野潤記。