人口減少に対応する地方の姿と国のかたち

□ 椎野先生との往復書簡(第1回返信) 人口減少に対応する地方の姿と国のかたち

                              

本郷浩二

椎野先生、椎野塾ブログへの執筆再開、ありがとうございます。考えたことを書き連ねてみます。

私は、人口減少が日本の国のかたちを変えていくと思っています。

江戸時代前期に人口が急増し、中期から後期にほぼ3000万人で推移していました。小さな平坦地のない島国が、世界の人口の4%前後を占めていたのです。しかし、世界人口はこの間に2〜3億人増えているようです。明治時代に入り、再度、人口は急増しました。富国強兵政策によるものでしょう。その後、戦中の一時的な減少はありましたが、近年になるまで増加し続けたのです。

非常に稠密な人口を有した日本の産業のスタイルは、鎖国政策をとった江戸時代以降、基本、人海戦術、労働集約といったものだったのではないかと思っています。限られた資源・生産力を利用する過程で、多くの人が関わり、おこぼれにあずかるという形です。科学的な裏付けは専門家に委ねるとして、これは私の独断ですが、経験から顧みると、たくさんの人が国土や国民が生産する財に関わり、消費することで、多くの人口を抱える国民経済が成り立っていたのではないかと思っています。日本が世界有数の人口を扶養できたのは、食料生産力だけではなくて、貧しいながらも、その食料を調達できるだけの個人の所得獲得環境があったからであることは紛れもない事実でしょう。

平均的に高い教育水準、勤勉・忍耐力が強かったと言われる日本人の労働能力に依存してきた戦後・高度経済成長時の生産過程は、賃金水準の上昇とともに人件費コストがかかり過ぎるようになったため、大企業・輸出企業を中心に、急速に機械化そして産業ロボット化して価格競争力を確保してきました。しかし、皆でおこぼれをもらう伝統から(?)中小企業が多い日本では、中小企業の資金力不足で産業ロボット化が十分に進まなかったのだと思います。

また、バブル崩壊後の20年間ぐらいは、大雑把に言って、労働集約的な生産スタイルの改善のための人員削減ではなく、非採算部門からの縮小・撤退のための人員削減が中心に対処されていたのではないかと思います。2002年頃のIT不況では、たくさんのIT産業、IT部門をはじめとしたリストラが起こり、政府は緊急雇用政策を発動し、林業界にも緑の雇用事業などで多くの転職者が入ってきたことを思い出します。

近年、人口が減少局面に入り、特に労働人口の減少が先に進むことによって、我が国の労働集約的だった産業スタイルは人手不足という大きな穴に落ち込んでしまっているのではないでしょうか。これまで、多くの働き手を要して回っていたものが回らなくなり、労働環境にも国民生活にも多大な支障が生じているように思います。

一人一人の働き手にかかる負荷は増大しますし、暮らしにおける官民のサービスも痒いところに手が届かなくなり、不便な面が多くなってきているのではないでしょうか。また、生産過程での手抜き・偽装、流通過程での遅延などのニュースに接する機会が増えたような気がします。工業製品の技術・品質は世界一といったmade in JAPANの信頼性も揺らいでいるように思います。

このような状況に対応するため、ユビキタス社会、Society5.0といった理念・目標のもとで、人・働き手の関わりを減らすロボット化、IT化や電子化と言われる技術革新により産業システムや暮らしの自動化が進展してきました。

地場産業においては、地域の需要不足という深刻な事態の下で衰退し、資本の蓄積が減ってしまっており、このような新しい技術革新に投資できていませんでした。その上に、需要を開拓するために全国はもとより海外との取引を広げることが重要になっているのですから、他の地域との競合も克服しなければなりません。様々な職種の経験を積んだ高齢の方がリタイアし、後継者が確保できず業務の知見・ノウハウの空洞化が進む中で、そのような新しい分野に進んでいくためには、ロボット化、IT化、電子化といった取組とともに、新しい知見と人脈の導入、異分野との連携といったことが必要とされるのだと思います。

地場産業を活性化するためには、既に余力のない産業界の内発的な行動を喚起し、そのような取組を後押しする地方行政の支援が不可欠なのです。沖縄県や高知県の事例は、新しい知見と人脈の導入という分野において、うまくいっていることを表しているものと思います。菊陽町や千歳市以外の市区町ではどのような取組をされているのでしょう。たいへん興味深い事案です。

しかし、残念ながらこれらの取組は、未だ、人口の多さに頼って来た時代から脱皮できているわけではありません。都会においても地方においても、世界一(JAPAN as No.1)と過去に言われたことがあるまでに広がった日本の産業経済を、現在の実力に応じて縮小し、見込みのある分野に投資の選択と人材の集中を行いつつ、従来分野以外の開拓に力を注がなければならないでしょう。

この際、人口減少日本が持つ大きな課題は、中高齢者を中心とした国民のITリテラシーの脆弱性にあります。人海戦術、労働集約で回ってきた日本の社会は、IT化の重要性に気付くのが遅れ、IT教育を怠ってきたため、労働人口のかなりがITの知識・技能を身に着けておらず、生産性の向上が急には進まないということです。これは、大問題ですが、正直、中高齢者を対象に教育するのは手遅れかもしれないので、若い働き手に期待するしかありません。

一方、現状では、AIが生産性向上の面で大きな期待を担っています。人がやってきたことは、膨大なデータを短時間に学習することにより、ほぼ、人の代わりをすることができるように思います。想像とか創造ということは苦手なようですが、模倣で良ければ、企業にIT人材などいなくても、AIで生産性向上が図られるようになるかもしれません。産業の発展のために必要なのは、過去の経験や慣習にとらわれず新しいものを学習し、想像力、創造力のある人材ということになりそうです。

給与水準も、年功序列ではなく、IT等の生産性向上に寄与する専門技術や収益性を向上させる創造的思考を習得している働き手への配分を高めていかなければ、優秀な人材は海外へと流出してしまいます。今はスタートアップという形で国内に残る人材も多いかもしれませんが、それは外部に分業化した姿で、これら以外の企業内に残った部門は給与・所得の配分という意味では低下せざるを得なくなります。

もしかすると、年功序列という人事・給与体系も、人海戦術・労働集約の産業スタイルに合致していた(あるいは、その伝統から編み出された)のかもしれませんが、そうだとすると、その産業文化・雇用の慣習が変革に晒されるのです。これは成功体験として輝く高度経済成長時の日本型企業経営、JAPAN as No.1として持て囃された日本の社会経済の変革を意味することになると思います。労働人口の相当部分が大きな不利益を被る国のかたちの大変革にならざるを得ないものと思います。

今、人口減少局面を迎えたことは、日本にとって、もしかすると天が与えてくれた啓示、チャンスかもしれません。まさに天の時ですが、地の利、人の和を損なわない社会の変革を期待してやみません。