
□ 椎野潤ブログ(大隅研究会第23回) 櫨の木の可能性と素材の民主化とは
株式会社 岩崎木材工芸 岩崎理恵
「僕は、櫨の伝来の地で櫨の木を復活させたいんです。」
そんな突拍子の無い事を言う内田という奇特な人物に出会って四年目、自社の櫨山は約五百本植栽となり、事業化までもう一歩というところに来ています。
櫨の木の実から採れる木蝋は和蝋燭の原料として知られていますが、お相撲さんの鬢付け油や、お化粧品、衣料品など実は幅広く使われている原材料です。内田は、そもそも大手家電メーカーに勤めていた人物ですが、この木蝋を使った和蝋燭の灯に魅せられて、櫨職人なる道を選んだそうです。和蝋燭の炎は洋蝋燭のそれと比べ、ゆらゆらと大きく揺らめきます。その炎は、1/fゆらぎ(エフぶんのいちゆらぎ)を持っているそうで、人が黄金律に出会って美しいと感じるように、この1/fゆらぎに出会うと心地よさを感じるのだそうです。人の歌声、心音、小川のせせらぎ、波の音など、自然の中に感じられるものです。内田はメーカー時代に、このゆらぎを再現出来ないかと開発者に頼んだようですが、現実が難しかったと言っています。
自然の神秘的な力に魅せられたとはいえ、大手家電メーカーから櫨職人への転職、いったいこの人物は何を求めてこの鹿児島の南端の地まで来たんだろう、と私も大変興味深かったのですが、そこには「素材の民主化」という思いがありました。
和蝋燭に興味を持ち、素材の話に強く惹かれて、原料の櫨の木に着目したそうです。でも櫨の木のことを知りたくても、どこに行って誰に会ったらいいのか、そもそも櫨を育てている人が国内にいるのかどうかもわからない。自身がメーカーにいたこともあり、素材へのアクセスポイントが全くないことが不思議だったようです。そこで、これからの世の中、その整備が必要なんじゃないかと感じたのだと。確かに、工芸のどの分野でも、最終製品を形にする職人さんは注目されやすいですが、原料や道具をつくって支えている人たちにはなかなか光が当たらない。知らない間に、原料をつくる人がいなくなり、道具をつくる職人がいなくなり、文化そのものが廃れていく…といった状況があらゆる工芸の分野で起きています。実際、全国で木蝋を製造しているのは5団体ありますが、ある程度の量(10トン以上ほど)のロウを法人として製造しているのは2社のみ。自社の畑で櫨の木の栽培をされているところもありますが、それ以外は副業的に栽培されている農家から実を仕入れています。副業的にハゼノキを栽培される農家が減って、原料が入手しづらくなっているのが現状です。
「昔と同じつくり方や生産体制のままでは続かないことは、過去の人たちによって証明済みです。でも新しい生産方法や仕組みができたらどうだろうと。それを自分の手でやってみたくなって会社を辞めました。個人の力であれ企業の力であれ、仕組み次第で一般の人たちの力を借りることもできると思ったんです。」と彼は言います。
「原料の生産者や研究者、情報にアクセスしやすい状況をつくることが重要だなと。誰かが、櫨の木という植物を何かに使えるかもしれないと思ったときに、ある程度実験して整備してあれば、その後のアクションが実現しやすくなるので。昔よく使われていた原料というだけで思考停止していたら、新しい用途を見つける機会すら失ってしまうかもしれない。もっと革新的な発想が生まれるかもしれない。だからあらゆる素材において、アクセスしやすいことがますます重要になっていくと思います。大袈裟にいうと“素材の民主化”と言えるかもしれません。この素材を使いたいと思った人が、誰でもアクセスできて選べる環境づくりが大事なんです。」と彼はつづけました。
成程、私も同じことをやろうとしているな。屋久杉にしろ、地産材にしろ、素材という物とどう向き合っていくか考えている方向は同じだと感じました。目指すところが同じなら一緒にやっていける、そう思ったのです。
前述したとおり、櫨の木蝋は和蝋燭の原料、化粧品、衣料品などの原料にもなります。ワックスのような天然固形油としての可能性も大きく、紅葉がきれいな樹木ですので、まとまって植えれば観光資源にも成りえます。芯材は染色の原料にもなりますし、近頃は樹液についても注目されています。山主さんが山に植えれば、5年で実を採取できますので、収益になる仕組みを作れば再造林にも繋がると考えています。
弊社は今年度から、正式に認定を受けて、経営計画も始動しました。いよいよ本格的に山林の経営を行っていかなければなりません。昨年度には認証林の加工認証であるCOC認証も取得しました。今のところ、県産認証材を木工芸品へ加工できるのは弊社だけとなっています。ますます素材と向き合って、山を活かしていく必要があります。
木蝋や亜麻、屋久杉材などの素材を民主化していく仕組みづくり、認証材サプライチェーンの問題など取り組むべきことが山積していますが、一歩一歩進んでいきたいと思います。
☆まとめ 「塾頭の一言」 酒井秀夫
和蝋燭のゆらぐ炎は、時代劇では演出効果が大きいです。
「知らない間に、原料をつくる人がいなくなり、道具をつくる職人がいなくなり、文化そのものが廃れていく…といった状況があらゆる工芸の分野で起きています」とのご指摘ですが、日本文化を象徴するような茅葺き屋根や畳、檜皮葺・こけら葺、和紙、ホウキ、ザルやカゴなどのつる細工など、まさに特定の植物が無くては成り立ちえません。和傘も、骨を束ね、柄の開閉に「ろくろ」が要ですが、このろくろの材料はエゴノキでなければなりません。珍しい木ではありませんが、いざ和傘に使おうとすると入手しにくいようで、その育成がはじまっています。ウルシの国産化も成果を上げてきています。
ちなみに、令和15年(2023年)の伊勢神宮式年遷宮に向けて御杣始祭がいよいよ執り行われます。20年に一度の式年遷宮は、社殿の造営だけでなく、神宝や道具などの新調も多岐にわたって行われます。その工芸技術や文化、営みの伝承にも式年遷宮は大きな役割を果たしてきました。
櫨の復活に取り組まれた内田さんは、今の時代においてあらゆる素材にアクセスしやすくし、そのことで多くの人たちの力を結集させようと「素材の民主化」を目指しておられます。希少な屋久杉を活かした伝統的な工芸品を製作販売している岩崎木材工芸の岩社長に「奇特な人物」と評された内田さんですが、大手家電メーカーでのご経験も活かして、「勇ましく高尚な生涯」を歩まれはじめています。5年で実を採取できるということで、流行りの言葉でいえば「早生樹」や「アグロフォレストリー(農林複合経営)」でもあります。すぐに現金収入が得られるので、農業支援にもなると思います。この取り組みが他のいろいろな分野でも多様に広まって、国を豊かにしていくことができればと応援していきたいと思います。