地震被災地、宮城県石巻市に、この土地の文化を継承し、芸術家の感性を注入した家を提供し、その家々で、未来の石巻のマチを作りたいと、挑戦している人がいます。今日は、その活動を報告します。
林業再生・山村振興への一言(再開)
2020年12月(№57)
□ 椎野潤(続)ブログ(268) 地域における挑戦者たち(その1)
宮城県石巻市「空き家で自分らしい生き方を創出」2020年12月4日
☆前書き
宮城県石巻市の未来を築こうと挑戦している渡辺享子さんとって、石巻は、自分の生まれ育った土地ではないのです。渡辺さんが、自分が生涯をかけて行う仕事を、思い定めたとき、運命的に石巻と出会ったのです。そして、石巻のために立ち上がりました。
これを2020年11月4日の日本経済新聞(参考資料1)が書いていました。ここでは、これを取り上げてブログを書きます。
☆本文
この記事が取り上げている渡辺享子は、凄い女性です。渡辺さんは、埼玉県上尾市生まれ、現在33歳です。2006年に、お茶の水女子大学に入学、卒業後東京工業大学大学院、都市工学専攻に進みました。就職活動を進めていた2011年3月、東日本大震災が起きました。発生直後、研究メンバーの一員で石巻に入りました。そして、ボランティア活動に情熱を傾けました。これが、震災被災地石巻の古くからの文化を継承し、芸術家の芸術を注入した家作りと、その家の集合体であるマチづくりを始めた、きっかけです。
2015年に、合同会社巻組を設立しました。これが、渡辺さんが「空き室を使って、新しいライフスタイルを作り出す」ことを目指している、新事業です。低価格で買い取ったり、借り上げたりした空き家に、改修工事を加えて、入居者から家賃収入を得ています。これが巻組の事業です。
渡辺さんが大事にしているのが、入居者と地域との関わりです。月1回、芸術家の創作物と、地元住民が持ち寄った家電や食器などを交換する「物々交換市」を開いています。この結果、近所の人が、食べ物のお裾分けしてくれたり、様子を気にかけてくれたりするようになりました。渡辺さんは「新しい地域コミュニティが生まれている」と、確信しています。そして「石巻の人は震災をへて、助け合うことに慣れてきている。手助けすること自体が、生き甲斐になっている」と述べています。(参考資料1、日本経済新聞2020年11月4日を参照して記述)
☆まとめ
渡辺享子さんは、お茶の水女子大学2年生のとき、スペインのバルセロナを訪れました。バルセロナは、狭い道や古い家が多く残っているのに、一つの街としてのデザインが成り立っていました。芸術家たちは路地裏に集まり、彼らの居場所は確立していました。渡辺さんは、この時「自ら街づくりに関わりたい」という強い思いを持ちました。直ちに行動に移しました。
そして目指すものが学べる場所として、東京工業大学大学院工学研究科建築企画研究室を選んだのです。そこで「空き家の活用法」を研究しました。これで本当にやりたいことに出会えたと思いました。でも、就職となると具体的なイメージは浮かばなかったのです。
この時、出会ったのが震災直後の石巻でした。この地で、再建に挑む人々の渦の中に飛び込んだのです。渡辺さんは、この人達の凄い迫力に驚きました。この姿を見て奮いたったのです。
それから10年。渡辺さんの奮い立った勢いは、今も続いています。石巻の次世代に向けた家づくり・マチづくりは、強い熱意のもとで進められています。
地域で、永い間、遺されてきた文化と芸術家の芸術が混淆した家づくり。これは伊佐さんの文化と芸術が集積された家づくりと、まさに同じ姿です。渡辺享子さんの仕事は、このような家の集団が形成するマチづくりです。このマチづくりは、今、私が求めている「山村振興」そのものなのです。「山村振興」として最高のモデルです。
ここでも、伊佐さんのところと同様に、凄い芸術作品の家が、積み上げられた文化の上に、作られ続けています。伊佐さんの周囲のように、この家を住みたいと願う人達が、大勢集まっていると思います。これにより、人口減少下でも住宅産業は、日本社会を支える柱であり続けるのです。(参考資料1、日本経済新聞2020年11月4日を参照して記述)
参考資料
(1)日本経済新聞、2020年11月4日。
[付記]2020年12月4日。