中部森林管理局(長野市:奥田 辰幸 局長)では昭和59年(1984年)9月14日に長野県王滝村を中心に発生した長野県西部地震から今年で30年を経過したことを受け、復旧・復興の歩みを振り返り、災害の恐ろしさや、植生の復元の取り組みを踏まえた地震災害への備え、復旧対策の方向性を考える場としてシンポジウムを開催され、当日は地元の方々はもとより遠方からも多くの方が参加され、700名収容の大きな会場は520名の参加者でほぼ満席となるほど盛況で、報道関係の方も多く来ておられました。
当協会ではこの催しを後援させて頂いたことから、シンポジウムの運営に協会青年部(安藤 智規 部長)が、駐車場案内、会場案内、受付などに協力しました。
シンポジウムは奥田局長の主催者挨拶(写真)に続き、北澤秋司 山地環境防災研究所長(信州大学名誉教授)による基調講演のあと、北原 曜 信州大学農学部森林科学科教授をコーディネーターに、北澤氏のほか瀬戸 普 王滝村長、奥田 辰幸局長などパネラーによる、(1)緑・森林の必要性、(2)緑の復元はどのように行われたか、(3)よみがえった緑・森林と今なお残る爪痕、(4)今後に活かす といったテーマでパネルディスカッションが進められ、奥田局長からは「最終的には災害前の森林を目指す。30年はまだ短い期間。自然の再生力を活用して、われわれはそれをお手伝いをしていく」、北澤氏からは「爪痕は地質的にも貴重。観光資源としても魅力のある場所。外国ではこういった場所に歩道をつけて多くの方が訪れている例もある」などの発言がありました。(写真)
当協会はシンポジウム前日から王滝村に宿泊し、「よみがえる御岳」と銘打ち、長野林業土木協会と一緒に現地視察会を実施し、震災当時、土石流で森林が破壊尽くされた「伝上川」「濁沢」の現地では、震災当時の写真と今を比べながら「よくここまで森林が復元したものだ」と、御岳山頂上南面に発生した大崩壊「御岳崩」を間近に見る御岳登山口の「田の原」からの景色には「まるでジオパーク」といった感想が聞かれ、現地を体感をしてシンポジウムに参加したことから、パネラーの言葉がより実感として伝わってきました。
王滝村には中京圏の水瓶である「牧尾ダム」があります。村の人口は900人弱にまで減少するなか、瀬戸村長はシンポジウムへの感謝と下流の方々の取り組みに感謝されるとともに、村の素直な気持ちなど語っておられました。またパネラーの一人中日森友隊の安井 誠 隊長は「(牧尾ダムの)水のお陰で私たちの生活が潤っている。震災を機会に水源の大切さを思うようになった。一人でも多くの方に森林の大切さを体感してもらうようボランティア活動を続けたい」と話されていたことも印象的でした。
パネラーの方々を始め、シンポジウム開催までの準備、当日の運営など担当された方々本当にご苦労様でした。