□ 椎野潤ブログ(塩地研究会第37回) 林業について考える(2)社会で支える森林経営
戸田てつお(森林総合監理士)
林業の育林費用は概ね植栽・下刈もろもろ合わせて2百万円/ha程度とされている。
一方、ざっくりであるが木材の収入はスギの場合、原木市場で平均1万3千円〜1万4千円/立法mであり、原木市場までの運賃経費や伐採造材費を差し引いた山元立木価格は、地域にもよるが4,000円/立法m程度である。
1ha(100m×100m)の森林で年間成長量を5〜10立方m/haとしたときに、50年生の森林で蓄積量が250〜500立法m、250〜500立法m@4,000円=1,000千円〜2,000千円。良くて2百万円程度にしかならない。収益が良くて2百万円、投資額が2百万円。ほぼ同額である。
仮に外注せずに自分たちで木材生産をしたとしても、MAX7,500千円(500立法m@15,000円)程度であり、木材生産だけで収益を出していくのはなかなか厳しいことになっている。多面的機能を発揮する産業であるが、市場経済だけでは収入と経費が見合いにくい。
では、なぜ儲からないにも関わらず、林業がなんとか続けてこれているのか?
森林林業基本法では、森林の持つ多面的機能は持続的に発揮されることが、国民生活及び国民経済の安定に欠くことができない存在であり、将来にわたつて、適正な整備及び保全が図られなければならない、とされている。そのため、適正な整備及び保全を図り、多面的機能の発揮を支援するため補助金が投入されている。儲からないから補助金がその補填として投入されているわけではなく、多面的機能を発揮させるために、補助金が投入されていることがポイントである。
日本の森林面積は国土の約7割の約2,500万haであり、そのうち1,100万ha程度が人の手が加わっている人工林である。人工林はいわば栽培している森林であり、林業活動の主なフィールドであり、コストが生じている部分である。
一方、林野庁の年間予算は公共が2,000億円、非公共が1,000億円、あわせて約3,000億円程度。このすべてが森林整備の補助金というわけではないが、人工林面積で考えると年間1haあたり27,300円くらいのコストで森林を管理しているといえる。
ちなみに令和6年度の国家予算は112兆717億円。うち公共事業費が6兆1,000億円。林野庁の予算のうち公共事業費は2,000億円、非公共事業が1,000億円くらいなので、年間公共事業費の予算のうち約3%が森林の適正な整備及び保全等に充てられているというイメージになる。国土面積の約7割を占める国民生活及び国民経済の安定に欠くことができないとされる森林の適正管理を国家予算の3%程度で実施しているというのは、効率が良いような気もする。
いっそのこと人工林からコストの係らない天然林に戻してしまえば良いのではないか、という話もあるが、おそらく所有権の問題がことを複雑にしている。意外と知られていないことではあるが、日本の森林は誰かの所有物になっている。国有地である国有林は800万ha、公有林や個人が所有している私有林を合わせた民有林が1,700万ha。
国内にあるどの森林にもそれぞれの所有権がある。そして、天然林にすべきか人工林にすべきか、基本的に森林所有者に委ねられている。ほとんど利益を生んでいないとはいえ、人工林を収穫もせずに天然林化したい、という森林所有者はあまり多くはないように感じる。収穫した後に、天然林という手法はシカの食害などがある中では、限りなく難しいと考えた方が良い。
日本は温暖多雨なので低木・灌木を中心としたやぶ地には早期に回復する可能性があるが、多面的機能を満足に発揮出来る森林が成立するのは、相当な年月がかかる。林業は、私たちの暮らしを陰ながら支えている森林をより多面的機能を発揮させるように目的づけられた産業である。ただ木材を販売するだけではなく、視野を広くもち下流域の暮らしを鑑みた森林経営に取り組む必要がある。
とはいえ、その収入源の多くは木材販売によるものであり、森林の多面的機能を極力発揮させたところで、所有者や林業に携わる労働者には、補助金による下支えはあるとはいえ、利益を見いだしにくい。特に利用間伐などは、作業の手間がかかるため木材生産をするコストが主伐に比べて掛かり増しになる上に、生産量も多くないので、補助金なしでは生産は非常に難しい。
日本で生産される丸太の量は年間2,000万立法m程度であるが、このうち100万立法m以上の生産量を示すのは、大規模な皆伐を伴う北海道、秋田県、岩手県、大分県、熊本県、宮崎県の6県であり、丸太の生産は北海道、東北及び九州がメインとなっている。丸太の生産で充分に生産体制を構築するには、補助金の多寡で生産量が決まってしまう利用間伐ではなく、主伐を積極的に取り入れられる生産地であることが条件となっている。
原木需要者(製材工場や木質バイオマス発電施設)は、外材との価格競争を強いられており、品質と特に大量の生産量を求められている。そのような、木材需要者は補助金による素材生産量の上限が存在するエリアではなく、皆伐により材積量が潤沢に存在するエリアではじめて、丸太を素材生産業者が経営して成り立つ程度の価格で買い続けられることが出来る。つまり原木需要者を活かすも殺すも素材(丸太)を安定的に供給出来るかどうかに係っている。いわば、木材産業とは林業を通して原木(丸太)をめぐる生態系のようなものだ。
木材産業という生態系を素材生産業とそれを支える森林を育成する林業で支えている。
ところで現在、その生態系を活かすために木材を伐採した跡地への再造林率は、残念ながら、全国的には3〜4割だといわれている。脱炭素を推進するために、国産材が使われるようになり、林業、特に素材生産業は収益を上げられるようになってきている。
その反面、収穫された森林の3〜4割が、森林の持つ多面的機能を次に発揮することなく、放棄されている。これは、素材生産業は儲かるが森林経営まで考えると新たなコストを強いる再造林は参入しづらい、ということを示しており、森林経営体の不在が招いている事態である。豊かな森林の恵みをこれからも享受するためには、森林経営で収益を上げることのできる森林経営体の出現が望まれるし、森林の持つ多面的機能を享受している我々が社会全体でそのような森林経営体を育てていく必要がある。
科学技術は発達したものの、森林をはじめとした自然の風景に変わるものを人類は生み出せていない。画像生成AIの進歩によって、新緑の美しさや、静寂な白く輝く雪景色など、ひょっとしたら二次元上では再現できるかも知れない。しかし、新緑の時期のそよ風や、真夏の木陰の涼しさなど、視覚以外の触覚の部分は、いまだクーラーでは実現出来ていない、自然ならではの価値がある。また、コロナ禍を経て、郊外の豊かさに気付いた方が多いように、豊かな自然に囲まれた暮らしの良さがあらためて評価されはじめている。
森林の価値は気付きにくいが、失われると回復に非常に時間が掛かる。世界的に見ても温暖多雨の日本は、森林の恵みを実感できる貴重な地域であり、その恵みを享受しているわれわれは、その豊かさを次世代に引き継いでゆかねばならない。
次回は木材について考えてみる。
(参考文献)R4林業白書
☆まとめ 「塾頭の一言」 酒井秀夫
「なぜ儲からないにも関わらず、林業がなんとか続けてこれているのか?」という根源的な問いかけです。いろいろな解釈があるかと思いますが、そもそも儲かる商売はないと言う人もいます。儲かるのであれば、皆が参加して儲けがなくなるからです。ここで、木を伐って売ったときの森林所有者、素材生産業者、原木需要者の利益配分と補助金がどこに消えていくかについて考えてみたいと思います。
製品が国際価格で、安い労働賃金を使って機械化していきますので、木材資源が逼迫しないかぎり、主要産地が変わりながら、木材価格は長期にわたって安値安定していきます。欧州では東欧等からの出稼ぎ労働者が低めの賃金で伐採しています。工場での木材乾燥コストや、製材歩留まりの低さは、安い仕入れ価格となって森林側に転嫁されます。日本でも林道端までならば、3000円/立法mで出材することが可能になっています。しかし、トラック輸送費と流通経費が森林所有者の取り分を圧迫し、最終的に安い山元立木価格となっています。山側にストックヤードを整備して、大型トレーラを活用したり、原木需要者が高く買い取るために乾燥費用がかからないように天然乾燥を施したりするなどが対策として考えられます。
スウェーデンでは、例えば、製紙工場の林道端間伐材の買い取り価格に対して、森林所有者にまずは一定の金額を補償し、残りは素材生産業者の才覚次第ということでやる気を喚起しています。自ずと生産性が向上し、生産量も増加します。研修機関で研修を受けて、金融機関からお金を借りて機械を購入し、都会から伐採業に入ってくる人もいます。これは素材生産業者優先のサプライチェーンです。
更新費用を森林所有者が負担しなければならないとして、負担額をなるべく少なくするには、再造林コストを節減するか、費用をどこかからもってこなければなりません。前者の方法として、全木集材にすれば、枝条や梢端部はバイオマス燃料材に販売して収入を増やし、地拵えを省力化することができます。A材を生産しないことには森林所有者の取り分は増えないですが、A材だけでなく、C材やD材も大きな収入源になります。欧州では、「植林は王者の業」、「植林はすべての紳士の義務」といった格言があり、植林は投資というよりは為政者や市民の社会事業でした。スロベニヤやセルビアでは、苗木は国家がつくり、植林する人に無償で提供しています。栃木県は誕生150年を迎えましたが、昔のニュース映画を見ると、「ハゲ山は郷土の恥」がスローガンで、村ごとに競争して植えていました。更新で悩むということは、そこまで森林資源が育ってきたということになりますが、この森林を次世代につなげていく責務があります。
補助金も補助のしかたが大事だと思います。間伐に対して補助金を出すと、間伐材が大量に出て材価が下がり、補助金をもらっても相殺されて、結局は安く仕入れることができた需要者の懐に入っていったことがあります。間伐の起爆剤にはなっても需給をコントロールしなければなりません。
主伐を皆伐から択伐や小面積皆伐にして、間伐を繰り返していけば、択伐林になっていきます。この場合、小規模所有者ではロットをつくるのがむずかしいと思いますので、そのためには団地化する必要があると思いますが、択伐林になれば大規模に植林する必要はなくなります。皆伐は、貯金に例えれば全額引き出して、あらたに貯金を始めるというイメージですが、戸田さんの試算のように、今の材価とコストでは利回りが低いです。択伐は元本そのままに成長量だけを回帰年ごとに伐りますので、利息を受け取る生き方になります。利息だけで暮らしていくことは大変ですが、家計には潤いをもたらしてくれます。皆伐をハイペースで進めていくと、いまの北米西海岸のように、いっときは良いですが、やがて伐る木がなくなってしまいます。全国で、シカの食害対策に多額の費用がかかっていますが、大面積植林地はシカやウサギからみれば、バイキング朝食会場のように見えると思います。必要以上に繁殖させないためには、食料源を絞って、共存共栄を図っていく必要があります。
伐採を請け負う素材生産業で食べていけないことには山村に人がいなくなってしまいます。戸田さんの「豊かな森林の恵みをこれからも享受するためには、森林経営で収益を上げることのできる森林経営体の出現が望まれるし、森林の持つ多面的機能を享受している我々が社会全体でそのような森林経営体を育てていく必要がある」とすると、森林所有者には、林業が専業でなければ働く場を地元に提供する役割もあるかと思います。それが社会に貢献できるようにするには、素材生産業者のソーシャルライセンスも必要と思います。