□ 椎野潤ブログ(大隅研究会第20回) 地域事業体の小さな森林アセットの創出について
おおすみ100年の森理事 岩崎 理恵
先日、大隅森林管理署より数名、弊社に屋久杉の検収を練習に来られました。屋久島で屋久杉の検収にあたられていた最後のお一方がお亡くなりになられたそうで、検収技術を承継するための研修会があるとのこと。その事前の練習に来られたところでした。確かに、屋久杉は普通の丸太材と違い、いびつな形だったり、レンコンのように穴が開いていたり、正確な材積を出すのに苦労しそうです。署の若手の方々は、ボコボコに穴の空いたハス材を見て、「これ、何にするんですか?」と不思議そうに見まわしていました。
国産銘木の原木を目にする機会はやっぱり少ないのだなと思いました。最近、黒柿がチップ工場の土場に積まれていたとか、倉庫に積まれていた木材を邪魔だと思って燃やしたら国産銘木だった。なんて話を聞きます。林業家側が広葉樹、銘木の価値を知らないし、知っていたとしても目が利かないからそんな事態になってしまうのでしょう。
日本の林業界は、材価の下落に苦しんでいますが、実は、目の前に高く売れる木があっても、それに気付かなかったり、うまく利用できていなかったりするケースが結構あるのではないかと思うのです。一般の方はもちろん、木材に携わる我々自身の木の価値に対する意識改革も必要だなと感じます。
熊本大学教育学部の田口浩継教授は、木育のお話しの中で、最近の子供たちは原体験が少ない。原体験が少ないから心が育たないとおっしゃいました。畳のない家で育った子供たちは、イグサの匂いを「臭い」と言うそうです。小さいときになんとなく嗅いでいた匂いと家族の思い出が結びついて、何とも言えないノスタルジーを感じるあの匂い。森林や木材の無い所で育った子供たちは、木の香りをかいでいい匂いと感じるのでしょうか。木の温もり、居心地の良さ、杢目の美しさ。そういうものを体験せずに育って「木って良いよね。使いたいよね。」となるでしょうか。
人間の人格は3歳くらいから形成され始め、価値観や特性などの基礎的な部分は10歳までに確立すると言われているそうです。小さいうちから森林や木材の価値を知ってもらう事がとても大切だとわかります。子供から大人まで、木材の価値観を改革するために我々のような小さな事業体は何が出来るのか考えさせられます。
現在、私たちは子供向けに木育を行っています。木工場見学、植林体験、林業重機体験、木工ワークショップ、デジタルファブリケーション、社会科の出前授業、木蝋クレヨン作りなど、色々な木育活動を行っていますが、年齢や所属の学校などバラバラで単発になりがちです。地域と連携して、もっと体系立った取り組みにしたい。川上から川下までの流れを順序良く年齢に沿いながら体験できる木育活動にしたいと動いています。
また、木育と教育、木育と福祉はとても相性がいいです。この活動自体を商の部分まで繋げて木福商となっていければいいなと思います。私たちの暮らす錦江町は全国でも高い高齢化率で、実に町民約6000人のうち実に13人に一人が認知症という課題を抱えています。町は認知症の方々が集える認知症カフェを立ち上げました。私たちは木育で使用した木材の端材をこの認知症カフェに提供させていただき、利用者さんが磨いて積み木に加工してくださっています。他にも農業や土木、教育など色んな分野でたくさんのチームが立ち上がっていてこのカフェと連携しています。この活動が評価され、本年錦江町は、NHK認知症とともに生きる町アワードを受賞しました。
また、お隣の町が竹福連携で竹林整備に取り組んでいるのですが、私たちは、そこで出来た竹パウダーを利用した組み立て式の木製コンポストの実証実験を行っています。
こういった取り組みはとても小さいですが、広がりを持っています。過疎地域が抱えている課題は共通点が多く、取り組みあぐねている自治体も多いからです。この竹林整備ではメンマや竹炭のほかにパウダーを堆肥にして唐芋を生産しています。そのお芋で、干芋と焼酎を生産しています。上手にマネタイズまでいくと、ひとつのモデルとしての森林と繋がるアセットが生まれます。
地域にはたくさんの小さな森林アセットがあって、チェーンソー講習体験とか森林整備しながら乗馬体験が出来るとか、デジファブもそうですし、森林浴とかもそうですが、事業体はそれを一生懸命創意工夫して創出しています。
地域の事業体はこれからもそういった小さな森林アセットをどんどん創出して、森林と繋がりたい都会の人達や企業、森林環境税の使い道に困っている自治体などとマッチングしていくべきだと考えます。
その橋渡し役としておおすみ100年の森は機能していけるといいなと思っています。
☆まとめ 「塾頭の一言」 本郷浩二
大事な論点がちりばめられた報告です。
10年程前、都市(具体的には福岡)のかなりの大学生が内装をスギやヒノキにした部屋の木の香りを臭いと感じているという実験結果を聞いて、愕然としました。無機物と化学合成製品と脱臭剤に囲まれた生活をしてきたのではないかと思います。特に、現代の都市生活者は、香りや匂いに関して敏感になっているらしく強い香り、匂いのない空間が好まれているような広告や記事を目にします。そのような中で、アロマがもてはやされているのは心地よい微香ということなのかもしれません。
原体験が足りない、というのは現代の社会が抱える大きな構造的な問題です。機能的に分業された生活の中で、都市に人口が集中し、モノの生産活動も動植物や土に触れる経験もなくなり、自分たちの周りの物がどのように作られて、そこに届けられているのかを想像、類推することができなくなっています。そのため、そのことに関わる人や事物にも無関心、無理解になっており、都市と地方の分断、生産者と消費者の分断、地域や職業間の分断も起こりやすいものと思います。SDGsという運動論は、このような時代にとって必要不可欠なものとして生まれたのでしょう。今まで知らなかったもの、関心のなかったものを想像することが求められるようになりました。
木育については、その活動に関わる方の大部分が、対象者(特に子ども)の人としての心や思考のバランスのとれた成長、成育を目指しているように感じますが、木材業界としては、消費者(特に子どもの場合は将来の木材の利用者)としての教育という視点から考えられている場合が多いと思います。その場合、森に立っている木にまで考えが及んでいない場合も多いようです。また、木のおもちゃで遊ばせることばかりに終始しがちな活動もあります。このような偏りのある考え方を包含して、一過性にならないよう、成長過程に応じた木育の段階的・連続的なプログラムを考えていく必要があるでしょう。このことは、今のところは行政主導になっています。しかし、木材関係からでは、政策の費用対効果の面から効果が測り難い(木育でいったいどれだけ国民の木材利用の量、額が増えたのか?)という壁があるのも事実です。
川下から森林まで遡った木育プログラムを実行していくと、都市地域社会の課題、森林地域社会の課題、森林地域から都市地域までのつながりの課題が理解できるようになり、その課題の克服について考えられる人づくりも可能になるのだと思います。大隅のアセットの取組も広くそして多重的に発信していけば、日本中で取り組まれるようになっていくかもしれません。ぜひ、他地域への情報発信も進めていってください。幼児教育〜生涯教育あるいは地域対策という幅広い面から取り組まれるように働きかけると良いのです。
今、色々な地域でこのような木育を含んだ様々な取組が行われていますが、これらに対して、統合的で、かつ多様な利用が可能なプログラムが提供されるようにする地域支援活動を形成する段階に既になっているのではないかと考えています。